引き寄せの法則 考

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2014年 08月 29日

何で望み通りになってないか その1

前記事「今の自分は過去の自分の思考の結果」の続き

じゃ、なんで思い描いていたような状態に現在がなっていないのか

考えられる原因はいくつかある

・思い描き方が中途半端で、現実もそんな感じ

・現実が厳しすぎ壁にぶち当たってる

・行動したが、やり方を間違えてた

・今その目標の過程だ


ちょっと話が飛ぶが

客観性っていう

他者の目から見た場合どうなのか

物事の判断基準として、良く言われること

おおむね、誰もが半分は納得できるような理解を得ること

でもそれは、ある意味正しくて、もう一方で無意味でもある

というのは、本当の意味で、物事を客観視するということは、実は誰もできないこと

他者の視線の共通項をとって並べて、だよね~ って言うことに過ぎない

前にも書いたとおり、物事の”経験”とは本人のものであり主観を逃れられない

物事の経験においては、客観性が示す一般性よりも主観による本人の特異性が重要なのだ

だから、主に客観性で語られていること(誰かの主観でも同様だが)で早とちりしてしまうこと

自分の経験が伴わない事は、物事と自分との関係性の本質を欠いてしまっていること

それはただ、”知識として知っている”事に過ぎない

でだ

仮に「幸せ」を客観的に論じたらどうか

幸せの一般形が完成するだろうか

誰もが納得し、うらやむような・・・

完成したとしても、それは個人個人に合わせていったときに意味のあるモノだろうか

仏像彫って魂入れず にならないだろうか

回りくどく書いたが、個人の物事の経験においては、

その類に関しての客観論、一般論等は何の意味も無く

自分の主観性、感じ方、受け取り方のみに意味がある ちょっと極端かな

まだ回りくどく、たどり着いてないが

要するに、普段の思考において、自分の見た聞いた触れたリアルな物事においても、

まるで新聞記者が書く記事のような視点でいないだろうか

または、つい、このことって他人が見たらどう思うだろうか

とか、考えてしまってないだろうか

誰か知らない人の勝手なイメージの断片を繋いで、自分自身の思考だと信じてないか

結局は、普通の印象しか持てなくなってしまう

そんなモノは全部捨ててしまってかまわない

裸の自分の目で見て触ったもの、感じたもの、思ったこと

それが自分の主観であり思考になる

そこから始まる気がする
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by hikiyose-kou | 2014-08-29 16:01


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